ネットはオープンなメディアだということ
昨日、ほぼ日のWii前夜祭開催中についてエントリーを書きました。やじうまウオッチにも取り上げられた みたいもんのエントリーも含めて感想をみてみましたが、同じように感じる人もいれば、「何をすねているのだ」「すでにニュース記事多数」「体験会もあったのに」ということをいう人がいました。いい機会だととらえて、どうしてわたしが残念だったのかを書いてみます。
今回、Wii 前夜祭について書いたエントリーに様々な反応があったように、Wii 前夜祭自体についても、いろんな反応が予想されるわけです。なぜなら、あの記事を読む人はほぼ日の熱心な読者に限らず、さまざまな人が見かける可能性があるからです。だってほぼ日はネットにいるんだし、ネットは基本的にオープンですからね。
ネットにいてオープンであるということは、自分の望む、望まないにかかわらず、多くの人の目に触れる機会があるということです。当然、その反応についても自分の予想を超える可能性があります。それがネットの面白いところであるし、それはオープンで規制が少ないことのおかげです。
残念だと思ったポイントは、そういうさまざまな反応を予想してか、一番熱心な Wii のファンにとって待ち望んだ発売日というセレモニーの前日にやったところにあります。ゲームをマニアから新しいユーザへと広げていくためにも、新しい体験を想像し伝えるという Wii のマーケティング上、重要だと思うポイントは正しいとわたしも思いますが、小説の結末を先にいう、映画を見る前にストーリーを教える的なプロモーションと取られる可能性があるものをやるタイミングではないと思いました。一日違えば、全然違う結果が得られたと思います。この企画のターゲットがほぼ日の読者で Wii を知らない人、Wii への関心が低い人なんだから、少数派のネタミでしかない、という指摘もありますね。でも、ネットはオープンで誰が見るかなんてわからないんだから、想定していない人が見るということを考慮しないでいいなんてありません。また、Wii をしらない人が見るのなら、前夜祭であるか、当日祭であるか、そんなに違いはないと思いますし、前夜祭と銘打つなら別の企画だってありえただろうと。こういう反応があることを考えていれば、前夜祭ってやらないんじゃないかな、と思ったとき、残念な気持ちになりました。もちろん、過敏に反応した人は少数派でしょうし、無視したっていいですよ。でも、ネットにはいろんな人がいるわけなので、そういう人の反応もかならずあるわけで、無視しないでやる方法もあるんじゃないかな、と思うわけです。少数派の人は見るな、という意見もごもっとも。でも、つい、見つけてしまった人もいるんじゃないかなあ。うーん、考えすぎかな。
最後に断わっておきますと、前夜祭自体がうらやましいとかねたましいということではありません。そんな気持ちで書くくらいなら、自分の胸にしまっておくくらいの大人の分別は持ち合わせているつもりです。結局 Wii を買えなくて、くやしくて書いているんではありません。
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